2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧

浅草には昔からなめし皮職人やトサツ業者が多くいた。 そして私の義姉の家は、浅草で昔からトサツ関係の仕事で生計を立てている。 このことの意味は分かる人には自明なことである。 結婚式の前後には、ご親切にもそのことをわざわざご注進に来る奴がいた。 …

命を数字として扱うことについて

先日、ネットの掲示板を見ていて、命を数字としてしかみない医療行政に苦言を呈する発言を見かけた。 具体的に病院などで不愉快な経験をしての発言なのかもしれないが、私はやはり行政は命を数字として扱うべきだと思うのである。 もちろん私にとって命は数…

スイス人に新撰組について説明した

姉の知り合いの日本語のできるスイス人に 「新撰組とはどういう団体ですか?」 と聞かれたので、以下のように答えた。 「私も詳しくは知らないので、間違っているかもしれません。 新撰組は江戸時代末期に活躍した刀を持った農民たちの集団です。貴族階級の…

陰謀論は善人と親和性が高い

昨日、私は殺人の是非を問い続けることの意義を書いた。 その際、はあちゅう主義というブログを引き合いに出して「殺人を自分とは無縁なものとして、人を殺してはいけない理由を考えることさえ許さないとする姿勢」を批判した。 調べたところ、この方はネッ…

私は「どうして殺人をしてはいけないか」という愚問をやめはしない

自殺したがる知人に対して私はいつも思う。 本当に死にたいのならば、殺して差し上げてもかまわない、と。 ただし、本当に死にたいのならば、という条件付きで。 実際には彼らは死にたいのではなく、生き難いだけなので、私も殺したりはしない。 彼らが生き…

うつ病の知人がマンションから飛び降りた。 だが運良く、死なずにすんだ。 このようなとき、他人にできることは少ない。 必要なのは適切な薬物投与と休養であり、いずれも私には用意できない。 ただ私はこれからも、今までと変わらない態度を保つだけである…