浅草には昔からなめし皮職人やトサツ業者が多くいた。
そして私の義姉の家は、浅草で昔からトサツ関係の仕事で生計を立てている。
このことの意味は分かる人には自明なことである。


結婚式の前後には、ご親切にもそのことをわざわざご注進に来る奴がいた。
笑える話である。
50年以上にわたる差別撲滅運動は無意味な言葉狩りをしていただけだ。


言葉が存在しなければ、問題は封印されるだけである。
残ったのは上の話題の意味を理解できない若者と、いまだに心の中で意識を何一つ変えない老人だけだ。
問題を隠蔽しただけの運動が失敗であることは明白だ。