いつも捨てられる日のことを考えている。
それは、私にとってはそんなに悪いことではない。


前の会社が廃業してから、派遣社員というものになった。
派遣社員になったと人に言うと、「早く正社員になれるといいね」と言われる。
何故だろうか。
どうやら世間では派遣という立場は半端なもので、正社員になると「あがり」だとされているようだ。
意外である。
私は人に言えない仕事に就くのが半端で、表で生きていけるのが「あがり」だと思っていたから。


正社員は福利厚生が良くて、安定していると言われる。
私にとって福利厚生は保険証が使えるだけで十分だ。
私にとっての安定は屋根のある場所で寝れることだ。
家庭を持たない私にはお金はあまり必要なものではない。


日本では子どもを一人20歳まで育てるのに3000万円かかるそうだ。
ただ教育費を削れば、はるかに安上がりに済む。だから貧しい家の子どもは教育を受けられず、次にまた貧しい家を作ってしまう。
ともかく子どもがいなく、作るつもりもない私は、他人より生涯賃金が3000万円少なくても困らないのである。


家族と暮らすには大きな家も必要だ。
私の家は三畳半しかないが、私にはそれで十分広い。
ドヤ街である「山谷」の知人たちも簡易宿泊所で十分快適に過ごしていた。
家賃だけでも家庭持ちと比べて何千万円も必要なくなる。


家庭を持って一人前とはよく言ったものだ。
まさにその通り。
だからこそ人以下の私には、必要のないものだ。


陽の当たる場所で暮らせて、屋根の下で本を読むことのできる生活。
それが手に入っただけで僥倖(ぎょうこう)だ。


私はいつも捨てられる日のことを考えている。
派遣の有用性は必要がなくなればいつでも廃棄できる点にある。
雇用の流動性が高いというわけだ。
役に立たなければ捨てる。
それは私のよく知っている場所のルールと同じものだ。だから嫌いではない。
役に立たなければ、いつでも捨ててくれればいい。


もちろん役立つように努力することを怠るつもりはない。
だが需要と供給の関係で、努力とは関係なく不要になる時がある。
需要が伸びない日本では、その日はいつでもやって来てしまう。
だが、いいのだ。
その時は、懐かしい場所に帰るだけである。


平均寿命50代、
近所の焼き肉屋の経営者はヤクザ、十年前に銃弾が打ち込まれたこともあり、
夜に寝ると凍死するので、夜中は歩き回り、昼に寝る人々がうごめく「眠れない街」、
道に立って客を待っている彼女たちは、みんな彼、
誰もが逃げ出していくから、残ったのは死にかけの老人と出稼ぎ外国人ばかり、
水の腐った匂いが酒に混じる
私のクソッタレな故郷、山谷の街へ。