男から「俺の女になれ」とせまられた。


しかも彼は某宗教を信仰していて、その勧誘もしてきた。


こうして私は頭とケツを同時に狙われるという前代未聞の事態に見舞われたのである。


私に男色の気はないが、いい男ならば好かれて嫌ということはない。
だが私は彼のことを尊敬できない。
酔いに任せて相手の尻をなでまわすような人間を好きになれるわけがない。


それにしても好きでもない男から好かれることが、これほどおぞましいものだとは今まで知らなかった。
嫌いな女から好かれて うっとおしいと思うことはあっても、おぞましいとは思わなかった。


男である限り攻める側でいられるからだろうか。嫌いな女でも攻めるのに恐怖はない。
だが「女になれ」とは、攻められる恐れが生じたわけである。これは耐えられない不快さだ。
好きでもない男に言いよられる女性の気持ちがよく分かってしまった。
愛されないことの幸運というものもある。


ましてや神。
こちらは愛よりもなお不要だ。
神がいたとしても、それでも神はごめんだ。
「神はカタギではない」とは根元敬氏の言葉であったろうか。
アレには近づかない方がいい。