私は考える。
何をすれば、この国は金融政策の重要性に目を向けるのだろうかと。
個人にできることは何もないとあきらめてしまうのは簡単だ。
だが私には何かができた試しがない。


まず周囲の人間を啓蒙してみたが、興味のなさそうな顔をされるだけであった。


ネットで経済学の重要性を強調してみるが、自分の経済学への理解の未熟さ故に説得力に欠けていることが自分でも分かる。
しかし既にネット、書籍にはマクロ経済学について解説した良い文章が大量にある。
だがそれらの存在をもってしても何も変わらないところを見ると、「ネットや本の宣伝効果はそんなに大きくない」という知人の広報屋の言葉は本当なのだろう。
ちなみに何が影響力があるかを問いたところ「紙幣を壁に張り詰めるかインクに血を混ぜるか」だそうである。


外資系の金融会社に勤める人と接触してみたこともある。
だが彼らのする話はリスク管理の方法が多かった。それはそれで有益だったが、金融政策の話は聞けなかった。
中には金融屋のくせにリスク管理そっちのけで、株での博打にのめり込んでいる人もいた。
彼らは「サイコロは確率に支配されているからこそ、連続で同じ目が出ることもある」ということを理解していない人たちだった。


私が経済学の話をすると、儲け話ばかりを期待される。
世間の経済学への興味は個人投資にしかないことを理解した。


影響力のある方法としてインクに血を混ぜるのを断念した私は、もう一つの方法を使うしかない。
実は先日、十年前に会社関係の付き合いで購入させられた株が、200万円になっていたことが分かった。
私には一つの信仰がある。
それは必要な金は必要な時に必要なだけ手に入るという信仰だ。
私は今までこの信仰に裏切られたことがない。
月収が9万円の生活が4年続いた時もあったが、それは当時の私がそれ以上のお金を必要としていなかったからだ。
実際、その頃の私は、その年収でもお金に不自由した記憶がない。


つまり、こういうことである。
紙切れを貼りたい時に、その紙切れを手に入れた。
生活資金は足りているのに、何故か生活資金以上の金が手元にある。
ならば、それはそういうことなのだ。
私はこのあまり多くない手持ちの紙切れをどこに貼るべきか現在思案中である。