双頭胎児のミイラの呪い

さて、困ったことに、昨年から私は呪われている。
前回に書いた美人画はますます現実感を強くしている。
まぁ、これはどうでもいいことなので、本題に入ろう。
(これは話の枕であり、今回の文章の本質ではない。
時おり話の枕を主題と勘違いされることがあるので明記しておく。)


かように私はオカルトチックな現象を体験しているわけだが、
私はオカルト思想は大嫌いである。
魂とか前世とかスピリチュアルとか言う人を見ると軽蔑せずにはいられない。
死は永遠の闇であり、
意識というものは魂に由来するものではなく、進化の過程で生じた「脳のオマケ」に過ぎない。
「オカルト」の存在は認めるが、「オカルト思想」は認められない。


何故なら「オカルト思想」とは複雑怪奇な現象に安易な理由付けをする行為だからである。
更には「水は答えをしっている」のように自己の主張や道徳を正当化するために利用されることもある。


たとえば「月食」という現象は存在するが、過去の人はそれを龍が月を食らうからだと考えた。
私たちは「月食」の存在を認めるならば、龍の存在も認めなくてはいけないだろうか?


答えは否に決まっている。
幽霊や呪いについても同じことである。
私はそれらの現象の存在を認めるが、それが死んだ人間の魂の仕業であると考える必要はない。


月食という現象を説明できないから安直に龍のせいにする。
現象を説明したいがために、思考を放棄する。
それが私の嫌うオカルト思想である。


呪いについても考えると面白い。
たとえば例の美人画の「自殺した女性」の話はおそらく嘘である。
しかし私はその存在しない人間にどういうわけか呪われてしまっているわけである。


根本敬氏は呪いを恋愛に例えていた。
呪いとは呪う側と呪われる側が両思いにならないと成立しないと。


存在しないマンガのキャラクターに恋慕する人もいるのだから
存在しない美人画のモデルに呪われる人間がいても不思議ではないだろう。


また氏は呪いが絶対に成立しないような空間が存在するとも言っていた。
例えばアダルトビデオの販売コーナーなどだ。
確かに「割れ目パラダイス」「パイパニック」という単語が並ぶ空間で呪われるのは至難の業であろう。
ホラー映画「呪恩」の舞台を空き家ではなくAV販売コーナーにしたところを想像すれば、その困難さは一目瞭然だ。


そう考えると私の三畳半の自宅は狭くて暗くて寂しくて、呪われるには最適な環だ。
恋愛も呪いもムード作りが大切だということだ。


こんなにも楽しい「呪い」を魂や霊力で説明してしまうなんて、とてもつまらなくて、もったいないことだ。


ちなみに私の呪いは実害のない他愛ないものだが、
この世には実害をもたらす呪いもある。


私が聞いた中で一番面白かったのは「双頭胎児のミイラ」の話だ。
地元のホラ吹きで有名な老人から聞いた話なのだが、要はこういう話だ
私の住んでいる山谷はエタ・ヒニンが多く、昔は皮なめしやトサツを生業にしていた人が多くいた。
彼らは差別されて、冷遇されていた。
老人は子供の頃、彼らの間で噂されている狂女の話を耳にしたという。


冷遇された集団の中において、弱い者は更に冷淡に扱われるものだ。
弱い者は自分より弱い者にかみつくというわけである。
彼女はそんな弱い側の人間であった。


その女性は近親婚を重ねた末に生まれた病弱で手足の不自由な人で、更に兄弟と関係して頭が二つある奇形児を死産した。


外部から疎外され、部落差別で結婚がしにくい社会では、血の濃い者同士が婚姻を繰り返す。
そうして障害を持った子供が生まれやすくなってしまうことが偶にある。
そうなると彼らは障害児を生みやすい家系としてますます嫌われるようになるのだ。
つまり根拠のない差別が繰り返されると、やがて実体をもってしまうのである。


更なる悲劇はそれから起こった。その女性は発狂してしまった。
子供が死んだことを理解できなかったのだ。
彼女は生まれてきた双子に名前をつけて育てだした。
死んで干からびた双頭の子供の口に食事を与えて、話しかけた。
やがて冬の乾燥した季節のせいか双頭の胎児はミイラと化し、それを胸に抱える女性の姿がそこにはあった。
その姿を不気味に思った家族は彼女を廃屋に捨てた。


そのせいで「子供を育てられなくなった」彼女は、「子供が死んでいく光景」を見た。
彼女の中でも、双頭の子供は死んだ。
否。殺された。
そして彼女は子供を殺した世界を憎悪しながら、飢えて死んだ。
後には双頭胎児のミイラだけが残された。


その後、そのミイラは焼かれるはずだったのだが、何故か焼かれずに見世物になった。
それから先はお決まりの呪い話だ。


その憎悪の象徴たるミイラは関わる人間を次々と怪死させ、
途中には高名な坊さんに「なんと恐ろしい」とか言わせたり
鎮魂に失敗してかろうじて封をするという盛り上がりどころを入れてから、
愚かな人が好奇心から封を解くというお約束を経て
どこぞの軍人がそのミイラを買い求めた直後に2.26事件が起き、
そのミイラの購入者こそ実は…
なんていう壮大な話に展開するわけである。


そして最後にホラ吹き老人は言ったのだ。


「実はそのミイラは今、私が持っている。私の家の金庫にしまってある」


(きたよ、おっさん。言うと思ったよ)
私は内心でそう思いながら、「本当ですか! 凄いですね。今度見せてくださいよ」と感心して見せた。


老人は笑いながら
「おう、今度こっそり持って来てやるよ」
と言い、私は
(ないものを持ってこれるわけないからな。どうせ何か理由をつけて持ってこないに決まってる)と思った。


そして老人は予想通り、そのミイラを持ってくることはなかった。
ただ、予想と違っていた点は、その老人が死んだことだった。


私と会話した週のうちに老人は急死したのだ。
老人だから急死しても不自然なことはないはずなのだが、私は少しだけ老人を襲った「双頭胎児のミイラ」の呪いを信じてしまった。


「双頭胎児のミイラ」の存在の是非に関わらず、その時この呪いは両思いになり成立してしまったのであった。
今でも私は、つい、うっかりと、この世のどこかの家の片隅に世界を憎悪する「双頭胎児のミイラ」があるのではないかと想像してしまうのである。