某一族の衰亡 地方経済の没落と共に

私たち一族はその町を支配していた。
それは昔の話である。


今はもう没落した。
それは地方経済の没落と時を同じくして起きたことであり、会社とはいったい誰のものかという問題でもあった。


私の曽祖父は鍋の販売をしていた頃、ある金属に目をつけてその加工を生業にした。
それが成功し、祖父の代には日本有数の企業になった。
その道の人ならば誰でも知っている企業であり、その県では知らぬ者のいない会社だった。


その企業は、その街の住人の大半の雇用を生み出していた。
だからその経営に携わる曽祖父の兄弟や息子たちが町の顔役になるのは自然な成り行きだった。
本家と分家ができ、それらの家同士で婚姻が行われた。
例えば私の父の従兄弟は、私の母の従姉妹と結婚している。


家には序列ができ、名字で家の格が分かった。
私たちは士農工商を模した家名を持っていた。
「士」は町長や政治家とも懇意にしており経営の中心にいた本家で、某寺社と同じ名字をしていた。
「農」は派生的に生じた産業に関わることが多く、その地方の港と同じ名字をしていた。
「工」は幹部役員を多く抱える家で、ある職業と同じ名字をしていた。
「商」は祖父の家で、格的には一番下で、様々な松竹梅、および動物を含む名字を持っていた。


分家や町の人は本家に年始の挨拶をした。
本家の人は土蔵を複数所有し、大きな日本家屋に住んでいた。
珍しい建物なのでドラマの舞台として貸し出されたこともあったそうだ。
確か名家で起こる連続殺人をめぐる推理ドラマだったはずだ。


実際の各家の雰囲気も、どことなく横溝の金田一の推理物に出てくる旧家に似ていた。
今時の若い人には「ひぐらしのなく頃に」の園崎家のようなものと言えば分かりやすいだろうか。


私たちの一族は町の頂点に君臨していた。
それは若い人が生まれた場所で育ち、生まれた場所で死んでいた頃の話だ。
地方と都会には断絶があった。
だから地方で経済の中心にあれば、その町に住む人たちの中心になれた。
彼らは村社会の一員としての意識を強く持ち、それを支える私たちの一族に従順だった。
今でも中国の農村部では地方経済の有力者がそのまま町の支配者になることがあると聞く。
中央の監視が届かず、地方と都会が戸籍制度で分けられている場所でならば起こるべくして起きていることであろう。


だが日本は変わった。
高度経済成長時代。古い産業は廃れ、人材の流動性は人々を地方のしがらみから解放した。
若者は地方を捨てて都会に流れた。誰も田舎起業ごときに忠誠を誓う必要がなくなった。
そして競争相手が国内、そして海外に多く現れた。より優れた技術を持つ国内企業と安価に物をさばく海外企業との競争は利益を削った。
もはや私たちの企業は町の唯一の中心などではなかった。


こうして、まっさきに格下の家が没落した。
たとえば私の父の家がそれだった。特に父の父(つまり私の祖父)は早くに亡くなっていたので、父は生活苦に落ちた。
それでも生き延びれたのは、20歳頃に満州から帰国した遠縁の同格の家から援助してもらえたからだ。
父は大学に行かせてもらった上に、小さな工場をもらえた。
そして父はそのまま、その家の養子になった。その遠縁の人物が今の私の祖父である。
祖父は他にも多くの知り合いを助けており、その関係者から今でも人気がある。


「商」の家は、このように本家からの利益とは無関係になり、さっさと独立させられた。
また「士」の一部と「農」の家は、早々に見切りをつけて余力のあるうちから次の舞台に移った。


「士」のある家はその資産を生かして政治家とのつながりを作り、今でも次々に政治家や大企業と関係を結んで大きくなっている。
その家は「トイレには高価な物を置く」という信条を持っていて、トイレの一角にガレのランプを置いていた。おかげで私はその家に行くと、そのトイレでは緊張してのんびり用を足せなかった。
うっかり壊したら私の生涯年収を超えてしまうのだから、あそこもすくみあがるというものだ。


「農」の家は子供たちに教育を与え、彼らは今では大企業の社員や官僚、国連職員などになっている。
家の名や財に頼らずとも個人の才覚で生きていけるようにしたのだ。


問題は経営の中心にいた「士」と「工」の家だった。
彼らは経営権の根拠を「血筋」に求めた。
自分たちが正当なその企業の後継者であると信じていた。
町の中心にあり、自分たちが地方共同体を支えているという責任感が、かえって時代に即した経営を妨げた。


経営がうまくいかないのならば、うまくできる人にさっさと渡せばよかったのである。
だが彼らは共同体の長という責任感から、業績の悪化に対して経営陣の変更という選択肢をとらなかった。
当時の経営陣が自社株を売れば相当な額になり、それを元手に一部の「士」の家や「農」の家のように次世代につなげることができたはずだ。
彼らは下手に企業の分を超えた権力を持ってしまったせいで、企業の役割を忘れてしまったのだ。


企業の第一の目的はは利益を追求することであり、地域に貢献することではない。
そして企業の説明責任は地方の住人ではなく株主に対してあるのだ。


今でも企業に地域の貢献とか福祉行為とかを求める人がいるが、それは行政の仕事であることを忘れてはいけない。
余力があればそういうことをしてもいいだろうが、自分たちと従業員と株主を守ることを優先させるたからといって非難されるいわれはないはずである。


たとえば米原万里さんが「企業が生き残っても、人を幸せにしないからダメだ」なんていう非難をしていたが、それは見当違いの批判に思えるのである。
何故ならそれは企業の役割ではないからだ。人の幸せを考えるのは国の仕事だ。
企業とは必死で生き残ろうとしている一つの生命のようなものだ。それに自己犠牲を強いるようなマネが良識であるとは私には思えないのである。


そして彼らは経営権を守るために、そして町の共同体を守るために、借金をしてまで自社株を確保したのだ。
もっとも当の町の人たちはとっくの昔に私たちの企業には頼らなくなっていた。
そして経営が上手くいかないまま同じ経営陣を維持するには限界があった。
株価は下落し、結局 会社は買収されてしまい、強制的に経営陣は退陣させられたのである。
あとには借金だけが残った。


こうして「血筋」による経営は否定された。
曽祖父で起こり、
祖父で繁栄し、
父で没落し、
私たちは終始傍観者として無関心だった。
以上が私たち一族衰亡までの経緯である。