日本ユニセフの「なくそう!子どもポルノ」への危惧 〜「狼と香辛料」をひきあいにした考察〜

さて、本題に入ろう。
日本ユニセフはまた詐欺師まがいのことを始めた。
「なくそう!子どもポルノ」キャンペーンだ。


詳細は以下のブログのように他のサイトが多く論じているのでここでは述べない。

2008-03-12


彼らは幼児ポルノ的なアニメやマンガの追放をうたっている。
それだけを聞けば何の問題もないように聞こえる。
だが誰もが否定できない道徳的な理由を前面に出して、次いでその道徳に納得したなら自分たちの案に賛成しろというのは詐欺師の手口である。
人は彼らの案に反対すると自分たちが前者の道徳に反対しているような錯覚に陥り、賛同をしやすくなるのだ。
だが実際にはその道徳と彼らの提案の有効性は別問題なのである。


この道徳的な規制は際限なく対象を拡大し、多くの良作をも追放することだろう。
私は差別追放の名の下に、どれだけ多くの作品が闇に葬られたか知っている。
しかも本当に信じられないくらい些細でイチャモン、難癖に等しい理由でそれが実行されてきたのだ。


「魔女っ子」というタイトルがつくアニメは差別的だから再放送するな。
「覚悟の勧め」その他多くのマンガについて、4本の指の登場人物が出るのは部落差別だという理由で修正を要求。
(これは逆に部落民=4本指という誤解を世間に与えるだけでしかない)
黒人差別だから「ちび黒サンボ」は廃刊。
手塚治虫のマンガに出てくる土人は差別的だ。「どろろ」は身体障害者への差別だ。
「群盲象をなでる」ということわざは差別的だから使用禁止。
「メクラ魚」という魚は差別用語を使用しているから改名。
歌詞にわずか一言でも差別用語が使われていたら、永遠にその歌の使用は禁止。
片目も差別用語だから使用禁止。でも隻眼ならOK(根拠不明)。


私や私の上の世代が若い頃に慣れ親しんだ作品や歌が気軽に触れてはいけないものになっているのである。
そしてそれらの活動が差別の撲滅に役立ったかといえば、答えは否で、むしろ差別の隠蔽と陰湿化をもたらしただけである。
今ある作品についても同様に「子供の虐待」という理由で封印される未来が見える。


たとえば私はいま試しにニコニコ動画で「経済 アニメ」で検索して出てきた「狼と香辛料」というアニメを見てみた。
中世に類似した舞台で、旅の行商人と狼の化身である少女が、なんと為替取引をする物語であった。とても面白かった。
そして私はこの作品も「幼児ポルノ」的であるとして封印されることを確信した。


この物語の一話目に狼の化身である少女は服を着ない姿で行商人の前に現われるのだ。
それは一般向けのアニメなので扇情的なところは何もなく、むしろ静かな夜に人外の化身が唐突に現われるという情緒のある場面だ。
しかし、これは「少女」が「裸」であるという理由で「幼児ポルノ」とされるだろう。
まさか、と思うかもしれない。
だが私はその「まさか」が無数に実行されてきた実例を見ている。
彼らは前後の文脈なんて見ないし、物語のテーマも気にしない。ただ単純なキーワードにパブロフの犬のように反応するだけである。


日本ユニセフに寄付している私は彼らのその活動に間接的に協力していることになるだろう。
だが寄付している立場であるからこそ、私の批判は有効であるともいえる。
彼らは寄付者でもない人間が何か言っても「子供の未来を考えないエゴイスト」の戯言、「幼児ポルノ愛好家」の詭弁としか捕らえないだろう。
だが寄付者の多くが「それは本来の目的から逸脱し過ぎている」と言えば、彼らもそのことを聞かざるをえない。
今発言するべきは寄付者たちである。


明るい未来のためにした寄付が言論統制のある暗い未来をもたらさないために声を上げることは、その団体に寄付している者の義務とさえ言える。