何かをする前に(2)

前回までのあらすじ)
200万円で何かをしたい私は起業について検討した。
だがそんなことは論外だと思うのであった。


前回の話で私はあえて一番大事な話をしなかった。
そしてこれからもしばらくの間、その話をするつもりはないのである。


それは組織の目的についてである。


組織とは、まず始めに目的があり、目的を実現できるように構築されていくのが道理というものである。


まず目的があり、その実現のために資本を集める。
資本が集まれば、それを元に設備投資をし、さらに労働力を確保する。
その過程で組織の形態が決まる。
構成員の数、拠点の場所。
労働力は正規雇用かパートかボランティアか。
労働力の拘束時間は、終日か半日か。週五日、週二日、もしくは月一日か等々。


たとえば企業や国ならば正規雇用とパートの組み合わせで、拘束時間も多めに設定するだろう。
福祉団体や左翼、右翼団体ならばボランティアを多用する代わりに、彼らを長時間拘束することはできない。
目的によって必要とされる設備も人材も組織運営の方法も異なるのだから、目的を決めてからでないと何も作れないはずなのである。


だが私はここで目的を設定していない。目的は「何か」である。
それ以上のことは知らない。


まずはじめに200万円という資本がある。目的はない。
これが私の出発点である。
目的があって資本を集めたわけではない。
ただ何かをするための組織を作るのだ。
組織は目的の為の手段であるが、私に目的はなく、ただ手段のみを欲しているのである。


「手段の為ならば目的を選ばないという様な どうしようもない連中も確実に存在するのだよ。つまりは、とどのつまりは我々のような」(by 少佐 @ヘルシング
というわけである。


通常の組織作りは


目的

資本集め

設備投資、人材雇用

運営方法の検討


であるが、私の組織作りは


200万円

設備投資、人材雇用

目的

運営方法の検討


となる予定である。
つまり、最初に今手元にある200万円でどれだけの設備と人材を確保できるかを考える。
そして集まった人材に合わせて目的を作り、それからその運営方法を考えるのである。
まず最初に人ありき。それが私の組織作りである。


この200万円があれば、
どんな種類の人間を
どれだけの人数集めて
どれだけの時間を拘束することが可能で
どこに配置できるか。
私が最初に考えることはそれだけである。
目的は人を見てから、適当に決める。


また私はもう一つの重大要素についても考えていない。
それは私の能力である。


何かを成したいと思う者は、まず自分に何ができるかを考えるものだ。
彼らは何かを成したいと思う時、何故か何かをするのは自分でないといけないと思うようだ。だから自分の能力について悩む。
だが、私はそんな無駄ことは考えない。
私にできることは何もない。そういう摩擦ゼロとか完全真空のような「理想状態」を仮定する。
私は無能。
天の恵みをことごく吐き出して生まれた愚能の徒である。


無能な人間が何かをしたいのならば、他人のフンドシを借りるのが一番いい方法であろう。
自分でやるよりも他人にやらせた方が簡単だ。
天才になることはできなくても、天才を使うことは不可能ではない。
組織というのは、個人でできないことを他人にやらせるために存在しているのだから。


しかし200万円で使われるほど天才も安くないであろうから、私は結局このチンケな金でどの程度の人間を使えるかを真剣に考える必要がある。
自分に何ができるかではなく、他人に何をさせることができるか。
私が考える唯一のことはそれだけであるといっても過言ではない。
それが私のしたい何かの第一歩となる。