児童労働に賛成する

1993年、4万人の子供が砕石現場での危険な労働や児童買春をする境遇に追いやられた。
その原因を作った人びとは、恐ろしいことに自分たちは良いことをしたと思っていたのである。


1992年、大企業が発展途上国で児童を労働力に使用している事実に注目した人びとがいた。
大企業は、子供を安い賃金で搾取して、汚くて狭い工場に押し込めて長時間労働させ、就学の機会を奪っている。
こんなアンフェアな方法で製造された物など私たちは買わない。
彼らはそう主張した。


企業を非難する声は日増しに高まり、児童労働によって生産された製品の輸入を禁止する「児童労働抑止法案」(ハーキン法案)がアメリカで提出された。
これを機にバングラディッシュでは衣料品企業が5万人の子供を「解放」した。
つまりは、クビである。


だが彼らは勘違いをしていた。
子供たちは生きていく為に絶対に働かなくてはいけなかった。
だがそれらの国にはまともな仕事がそう多くはなかった。
だから「衣服を作る」という仕事は、とても貴重な就業先であったのだ。
それを奪われた子供たちは、犯罪者になったり、危険な砕石現場で死と隣り合せの仕事をしたり、男たちに毎日ヴァギナやアナルをほじくられる道を選ぶしかなかった。
ユニセフの追跡調査によると解雇された5万人のうち4万人もの子供がより劣悪な労働環境に追いやられたという。


この悲惨な結末を受けて、95年からは児童労働を突然にではなく段階的に減らし、かつユニセフの寄付で児童らに手当を支給して教育プログラムに参加させるという処置がとられた。
昔に私が読んだ報告書では「こうして今では六千人の子どもたちが元気に学校に通っています」とハッピーエンド風に書かれていて、私は「残りの三万四千人はどうした」と思ったものであった。


私には児童労働をなくすことが現実的な目的にはとても思えない。
児童を学校に戻すには、児童が仕事をしなくてもいいように無償で手当を支給し、学校を建設し、教師を雇い、労働力をなくすのを嫌がる企業と交渉する専門家や児童とその家族を説得する事務員を雇わないといけない。
それは潤沢な寄付を常に供給し続けないと維持できないシステムである。
児童労働者は2億4千万人もいる。
彼ら全員に手当てを払いながら学校に行かせることなど不可能である。


「子どもを学校に戻すプログラムは成功している」と言う人もいるだろう。
その通りである。それらプログラムは素晴らしい成果をあげている。
その方面での努力は今後も続けられるべきであろう。
ただし、それはお金を注いだ部分にだけ、わずか数万人単位で効果をあげているだけにすぎない。
児童労働者の1%未満だけを救うのが私たちの目的ではないはずである。
現実には児童労働者の数は増え続けている。


そこには強固な需要と供給の関係があるからだ。
多くの子どもたちが家族を助ける為に働きたがっている。
そして多くの企業が安い労働力を欲しがっている。


現在、世界的に児童労働は違法であり、故に表向きは存在しないはずの児童労働者を保護する法律もない。
だが現実には児童労働者は大勢いる。それなのに彼らを保護する規則は何もない。
まず目指すべきは児童労働の禁止ではなく、児童労働の環境改善ではなかろうか。


企業は慈善団体ではない。
子供をより安く、より長く、より便利な道具として使うことしか考えていない。
しかしだからこそ自立性があり、持続力も高い。
この仕組みが子供たちにとっても良いものとなれば、自動的に子供たちは救われる。
延々と施しを与え続けないと維持できないシステムより確実だ。
つまり労働環境の改善が目指すべき方向だと私は確信する。


だから私は「児童労働」に賛成する。
それに賛成しないと、「児童労働者の権利の保護」という次の段階に進めないからだ。
児童労働をなくすことが子供の幸福につながるという主張には不信感を持つ。
ましてや彼らから比較的まともな職場を奪う活動をしている善意の運動家には嫌悪感さえ覚える。