冲方 丁 「マルドゥック・スクランブル 」(全3巻)☆☆☆☆

マルドゥック・スクランブルは私が勝手にギャンブルSFと呼んでいる作品である。
カイジとかが好きな人ならば間違いなく夢中になれるSFだ。


この物語の主人公である少女バロットは男から物のように扱われ続け、生きるのに疲れてしまった少女売春婦である。


物語冒頭でバロットはある目的のために雇い主シェルによって体を焼かれてしまう。
しかし彼女は瀕死の重傷を負いながらも二人の事件屋によって救われる。


そして彼らは政府にマルドゥック・スクランブル09の発令を要請した。それは先の大戦で使用され、あまりにも甚大な被害をもたらしたために禁忌として封印された科学技術を特別な目的のために制限付で使用を許可する制度である。
こうして彼女はシェルの犯罪を暴く証人として保護されることになる。


全身に重度3の火傷を負っていたバロットは人工皮膚を移植され、天才的な適応能力を発揮する。
彼女は周囲の空間を皮膚感覚で鋭敏に知覚し、弾丸を弾丸で叩き落すことができるほどの精密な空間把握能力と金属製の皮膚を媒介としてあらゆる電子機器を遠隔操作する能力を得る。


そして彼女を救った事件屋の一人であり彼女のパートナーでもあるウフコックは禁忌そのものである大戦の兵器「知恵を持ったネズミ」である。
彼は匂いで人間の感情を読み、別の次元とリンクすることで自分の体を瞬間的にあらゆる兵器、道具に変化させることができる。
少女はその紳士的なネズミを信頼し、好きになる。


一方、彼らの敵も禁忌技術を使用して証人バロットの暗殺を謀る。
重力制御、電磁ナイフ、空中要塞、人語を話す動物、高度な生体移植技術などの様々な仕掛けが登場する。
まさにSFである。
そして彼らはこの能力を駆使してギャンブルをすることになるのである。
バロットと宿敵との攻防戦の最大の見せ場は、4枚の100万ドルチップをめぐるカジノでのギャンブルだ。


そう、彼らはこの超ハイテクノロジーを駆使して、よりによって博打を、しかもルーレットやブラックジャックという原始的な賭け事をするのである。


普通SFといったら科学と科学、超技術と超技術がぶつかりあう戦闘を繰り広げるものだと思うであろう。
もちろん、この本にはそういう戦闘シーンもある。一級の戦闘シーンだ。


しかしこの本を誉める人は戦闘シーンではなく、カジノでのギャンブルを超一級のSFとして賛美するのである。

なぜギャンブルがSFになるのであろうか?
ピーター・バンスタインは「リスク」という本の序文でこう語っている。

何千年もの歴史と今日われわれが生きている現代とを区別するものは何だろうか。
その答えは科学や技術、資本主義、あるいは民主主義の進歩を超えたところにある。

現在と過去との一線を画す画期的なアイデアはリスクの考え方に求められる。

リスクをどのように理解し、またどのように計測し、その結果をどのように重みづけるかを示すことによって、彼らはリスクを許容するという行為を社会を動かす基本的な行為に変えていった。

ギャンブルとはリスク管理の最たるものである。
そもそも偶然を理解し、それを支配することは科学の目的の一つである。


また「偶然」と「でたらめ」は同じ意味ではない。
偶然には規則性がある。だからこそ「確率」「統計」「複雑系」といった学問が生まれたのである。


たとえば量子力学不確定性原理により予測から偶然性を排除することはできないが、波動の確率分布という必然性により統計確率的な因果関係は成立している。
時々オカルティストが量子論を持ち出して「物理学は予言能力を失った。この世に決められた運命なんて存在しない」と言うが、運命という因果律はいまだに健在なのである。
(ただしミクロなレベルでは時間や空間を我々の見知っている時空と同じものだと考えない方がいいので、因果関係という言葉を安易に使うべきではない。)


ただ昔は科学が進歩すれば人は全ての因果律を厳密に知ることができると思っていた。驚異的な演算能力を持ったラプラスの悪魔は全ての未来を予言することができると期待されていたのだ。


それが今ではどれだけ科学が進歩しても、予測から「偶然」による不確定を避ける方法を持つのは不可能だと思われている。
誰も未来を予言することはできない。ただ「必然的に起こる偶然」だけならば予言できるのである。


そして「必然的に起こる偶然」とはリスクのことであり、そのリスクを管理し、制御する手段こそが科学技術である。


つまり科学技術とギャンブルとは双子の姉妹のようなものであり、SFとギャンブルは相性が良いのである。
SFがギャンブルをしないで、一体誰がギャンブルをすると言うのであろうか。


彼らの最大の勝負はブラックジャックで行われる。
ブラックジャックでの勝利とは勝ち続けることではなく、負けるのに耐え続けることで得られる。
超ハイテクノロジーを駆使しても確率の法則から逃げ出すことはできず、バロットたちは「負け」を避けることができない。
しかし彼女らの超ハイテクノロジーはリスクを管理し、「必然的な偶然」を「必然」にするために使われる。


手袋に変形したウフコックは膨大な量の統計データを管理し、ディーラーの感情を読み、それをバロットに伝える。
バロットはその鋭敏な感覚でカードの動きを完全に把握し、賭け金の額をリスクに合わせて調整する。
確率が「勝ち>負け」の時に大金を投じ、「勝ち>>負け」の時に超大金を投じる。偶然を確実に管理し続けることで利益は増え続ける。
そして所持金2千ドルは あっという間に100万ドルまでふくれあがる。だがそのときバロットたちの前にもう一人の「必然的な偶然」を操る男アシュレイが立ちふさがる。


もちろんこのギャンブルSFはギャンブルだけではなく、アクションもあり、ロマンスもあり、ハードボイルドもある。
またこのSFのテーマである「人間とは価値を見つけることができる獣である」は、私が最近考えている「自然は道徳でないからこそ、人間は道徳を発明した」という考えと同じものであり、とても共感できた。


間違いなく傑作。文字の読めるギャンブル好きは是非とも読むべし!


ちなみにSFファンの人は私が薦めるまでもなく既に読んでいる、もしくは読まれるでしょうから、わざわざ薦めたりは致しません。