貨幣その2「その種類」(旧玄文講再録)


貨幣の種類は2つある。
「不換紙幣」と「商品貨幣」である。


「不換紙幣」とは私たちが今日使っている一万円札や千円札のことであり、実質的な価値のない紙切れのことである。
マンガ「北斗の拳」の冒頭で社会制度の崩壊した世界の中でモヒカンの野盗が「金なんて今じゃ、けつを拭く紙にしかなんねぇぜー」と言っていたが、この紙幣は私たちが価値があると思い込まなくては価値を持ちえないのである。


「商品貨幣」とは実質的な価値がある物のことである。
金は代表的な商品貨幣であり、社会制度が崩壊しても貴重さを保ち価値を失わない。近代までは金が貨幣として流通していた。
他にも古代では貝殻、タバコの葉、石の輪が貨幣として用いられていた。


近代でもナチスの捕虜収容所において捕虜たちの間でタバコが貨幣として扱われていたことが報告されている。
そこではシャツ1枚がタバコ80本と交換され(交換手段)、タバコを吸わない者もタバコを貯え(保管手段)、タバコ2本でシャツを洗濯をする捕虜もいたという(価値の尺度)。


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それでは何故私たちは現代において「商品貨幣」を捨て、「不換紙幣」を用いているのだろうか?
それは「商品貨幣」はコントロールできないという大きな欠点を持つからである。
優れた道具というのは持ち主に制御できるものでないといけない。


たとえば名刀とは切れろと念じれば切れ、切れるなと思えば切らないものだと言われている。
つまり切れ味が持ち主の意思でコントロールできるわけである。
原発が危険視されるのは人による制御がまだ完璧ではなく、たまに事故を起こすからである。


貨幣のコントロールとは主に流通量の増減の自由を意味する。
そして商品貨幣は勝手に増やしたり、減らしたりすることができない。この世に錬金術は存在しないのである。
これはつまり金融政策が自由にできないということでもある。
金脈が見つかれば貨幣の流通量が自動的に増えて、勝手にインフレが始まってしまう。
デフレを抑えるために貨幣の流通量を増やしたくとも、金脈が見つからなければ何もできない。


貨幣の額面(名目)価値と素材価値が一致しなくなるという問題もある。
たとえば幕末の日本では大量の金が海外へ流出した。
その理由は欧米の「1ドル銀貨」と日本の「一分銀」「一両」の額面価値と素材価値の不均衡のせいであった。


次の式を見ていただきたい。それは欧米のドルと日本の銀貨と小判の額面価値と素材価値を比べたものである。


額面価値 1ドル=3分銀=3/4両


素材価値 1ドル(銀24グラム)=3分銀(銀26グラム)=3/4両(金3.4グラム)
     金3.4グラム=銀72グラム=3ドル


つまり1ドルが日本で両替えをするだけで3ドルに化けるのである。欧米人はこれを利用してボロ儲けしたのである。
この不均衡の解消のため幕府は「1両=4分銀」を「1両=13.5分銀」としたが、これにより貨幣の価値が下がり、つまりインフレが起き日本経済は大混乱を起こしたのである。
(参考)幕末の小判流出コインの散歩道


これに比べて不換紙幣を使えば、貨幣の流通は公正な価値を維持したままコントロールできるようになるのである。


もし上の話で紙幣を用いれば、1ドル紙幣は何回両替えしても一分紙幣3枚、一両紙幣3/4枚以上の価値にはならないのだ。


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しかし「商品貨幣」から「不換紙幣」への移行は一朝一夕で起きたわけではない。


まず商品貨幣、金などは品質がまばらで、重く持ち運びに不便であった。
そのため政府は金証書なる金と交換できる紙切れを発行した。これなら持ち運びに便利である。この証書は人々が政府を信用する限り、本物の金と同じものとして扱われる。


やがて金証書が日常的に流通するようになれば、いちいち金と交換するという手間をかけることなく、金証書だけを用いて日々の取引を行うようになる。
そして証書は金と交換できなくとも、それ自体が価値あるものになる。紙幣の誕生である。


つまり紙幣は人々が政府を信用し、互いにそれに価値があると認めあうことで成立するようになったのである。


「不換紙幣」が流通しているということは、社会が機能していることの証、人が社会を信頼していることの証、人が人を信用していることの証なのである。
紙切れを価値あるものに昇華させているのは、人間の理性、他人を信じる心、健全な社会なのである。


つまり紙幣の流通とは人間讃歌なのである。それは人間の理性の勝利を高らかに歌い上げているのだ。


「本当に価値あるものはお金ではなく精神の清らかさである」だって?
そのお金こそが精神の清らかさが生み出したものなのである。


お金のために破滅する人がいるだって?
それは「地獄への道は善意で敷き詰められている」ということなのではないですかね。
アハハのハー


それでは次はその肝心の貨幣のコントロールの方法について考えてみたい。
(参考文献「マンキュー マクロ経済学」)