「ライトノベルの世界観はトンデモか?」

トンデモ本の世界Vのあとがきで山本弘氏が、最近の小説やゲームがどんな舞台(未来世界、異世界、月面都市)を採用していても、その中身が現代日本でしかない、と苦言を呈していた。



たとえばガンパレードマーチは幻獣に侵略されて、50年に及ぶ戦争の果てに世界中が深刻な被害を受けたという設定なのに、サンドイッチが売られていたり、みんなが物資に囲まれた生活をしている。
だが太平洋戦争中の日本を考えれば分かるように、50年も戦争の混乱が続けば物資の供給能力が下がり、外国からの輸入も減り、住人たちは今の日本のような暮らしができるわけがない。
どんな世界を書いても、それがコンビニに何でも売っている現代日本にしかならないなんてオカシナ世界観だという主張だ。



今時の若い人たちには社会や戦争に対する想像力や知識が欠如していて、未来世界や異世界を創造する能力がないと嘆いているわけである。



確かに山本氏の御説もごもっともだが、「神は沈黙せず」でインチキエコノミストの本を参考にしたと思われるトンデモ経済学に基づいた世界を描いていた氏に言われると説得力がやや落ちる。



もちろん小説は現実ではないのであり、大事なのは読者が違和感を覚えないような説得力のある世界観を構築することである。
小説内で整合性さえ取れていれば、架空の経済法則や物理法則を採用してもかまわない。それがファンタジーやSFというものであろう。



たとえばガンダムの世界では、電波通信を妨害し、反重力を実現できるミノフスキー粒子理論を仮定し、そのウソ科学の上に整合性の取れた世界観を作っている。
あの世界でモビルスーツを使ってチャンバラしないといけないのは、ミノフスキー粒子のせいでミサイルが使えないからなのである。
(注:ガンダムの設定はうろ覚えなので間違っている可能性大。正確なことはマニアの人に聞いてください。)



つまり問題は未来世界を描いているくせに現代日本にしか見えない世界は違和感バリバリで、読んでいて興ざめになってしまうことなのだ。
だからその世界観を構築する理論がウソかホントかなんて どうでもいいことであり、山本氏の経済学も正しいものである必要はない。
大事なのは読者が没頭しやすい世界観を作ることだ。
だが私は山本氏の小説に違和感を覚えてしまい、少なくとも私に限っていえば世界観の構築は失敗していたのである。



だが経済学を学んでいない多くの人にとって山本氏の構築した世界観は違和感のないものであり、何の問題もなかったはずである。
そして訴求対象である読者が違和感を感じないのであれば、山本氏の小説と世界観は決して失敗ではないのである。



さて、それで山本氏の嫌う「何でも現代日本小説」である。
ここから先は単なる憶測、思いつきでしかないのだが、これらの小説の読者は別に未来世界や異世界なんかに関心なんてないのではなかろうか。
彼らが興味を持つのは今の自分とそれをとりまく世界、つまり現代日本だと思われる。
今、私、現在、自分、現代、自我。そういうものが一番切実に思える時がある。



だが舞台を現実の現在日本でやるのでは少しリアルすぎて重い。
そこで用いられるのが


「現代の映し鏡としての異世界


なのではなかろうか。
たとえばダ・ヴィンチ2005年9月号の特集「ライトノベル読者はバカなのか?」のインタビューで冲方丁 (ウブカタトウ)氏はこう言っている。

冲方丁 の小説『カオスレギオン』は剣と魔法のファンタジーだが、2巻のテーマはなんと”難民”だった。

「土地、国境、都市と人間の関わりは、書き続けていきたいテーマです。


ただ、例えば日本と中国の関係について書く場合に、実際の固有名詞を使って現代社会を舞台に書いてしまうと、過剰反応されてしまう恐れがある。
だったら『現実とは異なるXという世界に、A・Bという2つの国がありました』

ということにしましょう、と。


事実関係を抽象化することで『そもそも人間の本質ってなんだろう?』と考えることができるようになる。
それが異世界ファンタジーを書く一番の意義だと思います」


それらの小説は未来を描くSFではなく、異世界を描くファンタジーでもなく、現代と現代の抱える問題を描いているものなのだから、むしろ未来世界や異世界を描いていても中身は現代でないといけないのである。



そこで下手に本当にリアルな未来世界や異世界を作ってしまうと、かえってその世界には没頭しづらいのだ。
(SFファンとしては残念なことに)求められているのはSFやファンタジーではないのである。



だから彼らにとっては「何でも現代日本小説」が正解であり、書き手はそういう世界観を構築する必要があるのではなかろうか。
だから、それらの小説とその世界観も、好き嫌いは別として、失敗ではないと私は考えるのである。



最後に冲方丁氏の同インタビューでの「リアリティ論」が面白かったので、それを引用して終わりたいと思う。

魔法使いや宇宙人たちが当たり前のように出てくるライトノベルは「リアリティがない」「感情移入しづらい」と思われがちだ。
だが冲方丁 は「感情移入とリアリティは別物」と語る。


「読者を感情移入させられるかどうかは、単に作家の側の技術の問題です。
本当に心を動かされるものを書かれていれば、キャラクターや世界の壁なんてあっという間に越えてしまう。
感情移入は問答無用ですから。


一方でリアリティとは『現実的に考えた場合におかしいか』ではなく、『その世界がどれほど魅力的で、触れ合っていたいと思うか』ということ。


結局、リアリティの根幹にあるのは、読者と作者の間の共通了解なんですよ。
ライトノベルに宇宙人やモンスターが登場することになるけど、それらはティーンエージャーの好む要素。
彼らには実人生における体験の蓄積が少ない分、極端な存在を見せることで彼ら自身との対比をしやくする気遣いが必要なんです」