16世紀価格革命についての疑問(飯田泰之「歴史が教えるマネーの理論」)


先日から飯田泰之氏の「歴史が教えるマネーの理論」を読んでいる。
第一部は「貨幣数量説の栄光と挫折」と銘打ち、貨幣の流通量と物価の歴史を実例を挙げて紹介している。


最初の話は「原始的な貨幣数量説」の紹介である。
それは「物価がマネーの量に比例する」というものだ。


これは信用貨幣が流通する以前、そして生産性の向上が緩やかだった産業革命以前に有効であったにすぎない方程式として紹介されている。


まず氏は当時のマネーの量が増減する原因として
(1)金銀の増産、流出入
(2)貨幣の改鋳
を挙げる。
貨幣の主役が貴金属だった時代、マネーサプライは運任せで増減した。


そして氏が(1)の実例として挙げるのがアメリカで発見されたポトシ銀山からの銀の大量流入である。


16世紀、百年でスペインの物価は四倍にも上昇した。通称「16世紀価格革命」である。
ハミルトンはこのインフレを二段階に分けて説明した。
Step1 アメリカ産の貴金属がスペインに流入したことによるインフレ
Step2 インフレによる富の再分配


そして氏はStep2は渡辺努氏らの研究により疑問が提示されているので、Step1にのみ注目し、
これを「原始的な貨幣数量説」の実証としている。


しかし私は昔読んだ歴史の素人向けの本で、ハミルトンの説が否定されていたのを思い出した。
その本を探してきたので、以下に引用してみる。

十六世紀のヨーロッパが、前の時代に比べて、極端なインフレの時代であったことは疑う余地がない。
だがその原因が、アメリカから流入した銀にあったという、ハミルトンのテーゼは、今日では支持されていない。
かりに対象をスペインに限定しても、流入した銀の量と、スペイン国内の物価指数とのあいだに、相関関係が見られないからである。


(セビーリャに運ばれてきた銀のうち)実際に王室が吸い上げたのは、総量の四〇パーセントにすぎない。
残りの六〇パーセントは外国の銀行家や外国商人への支払いで、銀はほとんど流出してしまった。


イングランドでも、十六世紀のあいだにに物価は五倍になった。
その原因はスペインから流入した銀ではない。
一五四〇年代後半、逼迫した王室財政を救済するため、ヘンリ八世が狙った起死回生の一手、貨幣悪鋳策が原因で、その後の一〇年間で物価は一挙に二倍になった。


16世紀の長期的なインフレの真犯人は何なのか。
16世紀のヨーロッパは急激な人口増加の時代であり、ほぼ二倍の八五〇〇万になったと推定される。
増加する人口に、食糧供給が追いつかない。
商品価格の中で、食料価格がもっとも激しい上昇を示しているのが、それを物語っている。
労働力が供給過剰になったから、賃金は物価に比べて半分程度しか上昇しなかった。


長期的なインフレの原因は、ヨーロッパの生産力を上回る過剰人口にあったらしい。
(ヨーロッパ近世の開花 (世界の歴史十七巻)、p158 「価格革命の真相」より引用)


これによれば当時のインフレの原因は
(2)貨幣の改鋳(悪鋳)
および、供給面にあったことになる。


一方で氏は
(1)金銀の増産、流出入
が原因である根拠としてこう説明している。

(この説を裏付けるのが)同時期のヨーロッパ各国間で生じた価格上昇幅の違いです。


ポトシ銀山の所有国であるスペインでは、16世紀に300%の物価水準の上昇を経験しました。
商業を通じその波及効果を大きく受けたイギリスでは、食料品で400%以上、工業製品で150%の価格上昇を経験しています。
フランスでは、食料品を中心にイギリス以上の価格上昇が生じています。


一方、銀の流入が少なかったイタリアでは物価の上昇幅は小さく、16世紀の100年間で100%ほどの物価上昇を経験したに過ぎませんでした。


先の教科書では、イギリスのインフレは貨幣悪鋳の産物、食料が突出して値上がりしているのが供給力不足で説明されている。


最近の学説はどうなっているかを調べたところ以下の論文を見つけた。
16世紀「価格革命」論の検証(平山健二郎)http://ci.nii.ac.jp/naid/110004476242/
經濟學論究 58(3),207-225,20041231(ISSN 02868032) (関西学院大学経済学部研究会/関西学院大学)

上によると貨幣の増加と人口増加、そのいずれも原因として考えられるとしている。
以下に主要な点を引用する。

まず第一に金銀の流入時期と価格上昇の開始期が必ずしも一致していないことが指摘される。
多くのヨーロッパ諸国では16世紀に入って農産物価格が上昇し始めたのであるが、南米からの金銀の大量流入は16世紀後半からなのである。


またスペインに限って言うと17世紀に入っても金銀の流入は続いていたのに、価格は17世紀に入って安定している。


以上の理由から「貨幣的要因」だけにインフレの原因を求めることはできないとする。
ただし、ここで気になるのは工業製品と比較した農産物の相対価格の上昇を理由に「貨幣的要因」を否定しているのではないかということだ。


物価の上昇は生産物全体で計るものであり、マネーの量が一定ならば物価の平均水準も一定になる。
例えば、全貨幣量が1000円しかない世界で、米とハサミが500円で売られていたとする。
その世界で食料不足が起きて米が900円になれば、ハサミは100円に値下がりするしかない。
結果的に物価水準は500円のままである。
貨幣数量説は需要と供給による個々の生産物の相対価格を説明するものではないのである。
与えられたマネーの中でどうやりくりしても、全体的な平均は与えられたマネーを超えることはない。


だから知りたい情報は物価水準そのものがインフレを始めた時期と、金銀の流入時期が重なるか否かなのである。
もし食料価格が増加しても、他の生産物が値下がりしていたら物価は上がっていないことになる。
そうならば、急激なインフレが起きたのではなく、単に需給のバランスから食料価格が上昇していただけのことになる。


つまり全体を通して物価水準が一定か微増で、食料価格だけが上昇しているのならば貨幣数量説よりも人口増加説が有利になる。
逆に物価水準そのものが増加しているのならば、貨幣数量説が有利になる。
だがその物価水準の上昇が16世紀前半から既に起きているのならば、金銀の流入以外のインフレ要因を考える必要がある。


そこで論文をよく読むと、ストックホルム地区の農産品・工業製品11種についての統計から、16世紀前半から物価水準そのものがインフレ傾向にあったことを示している。
よって人口増加説だけに頼ることはできなさそうである。
だが、インフレは前半から起きているのでポトシ銀山説も同時にピンチである。


だが更に論文をよく読むと、金銀の流入以外で前半のインフレを説明する説もきちんと紹介されていたのである。

16世紀初頭の価格上昇の開始は中欧における銀生産が飛躍的に伸びたことにより説明されるようである。
15世紀の貨幣不足から、技術革新の誘因が生まれ、製錬技術や採鉱技術に革新が起こり、銀鉱の生産量が15世紀後半から大きく伸長したことが報告されている。


(南米の銀ではなく)中欧における銀生産の増加が16世紀前半の価格上昇を説明できる可能性も出てきたのである。


つまり16世紀のインフレは、前半が中欧の銀、後半が南米の銀で説明でき、貨幣数量説がやはり正しかったということになる。
だが貨幣説を擁護してみたものの、全体を通して食料価格の上昇ばかりが目立つのも確かである。


で、個人的な予想として私は以下を考える。
まず金銀の大量流入が物価に何らかのインフレ圧を与えたことは確かであろう。
また貨幣の悪鋳もインフレの要因になっていた。
ただし、人口が増加したことによる食料の相対価格の上昇がインフレ率を実際よりも大きく見せていたということではないだろうか。